李 贊煕(イーチャンヒ)司祭のメッセージ


無駄な心配
      
                                     
仙台聖フランシス教会牧師
東北教区 司祭 ドミニコ 李 贊煕
(聖フランシス教会 2017年9月号・月報

巻頭言

기도(묵주기도, 기도손) 이미지 모음現代人は、多くの不安、心配の中での生活を生きていきます。その中には眠ることができないほど深刻なものもあります。一方、瞬間的なものもあります。米国の大学の心理学チームが調査した結果を見ると、人々の心配事の40%が実際に起こらないものでした。心配事の中の30%は、すでに過去にあったことのことでした。だから今になって気にしても解決されることじゃありません。

10%は、病する心配事です。その中には、際にはかからない病することもあります。際に心配すべきことは、8%しかありません。しかし、その8%の中でも本に頭を包んで担いで心配すべきことは、あまりないという結論です。私たちは、いくらも無駄もないことを心配をしています。それとも無駄な心配を持って苦しんでいます。

 「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト․イエスによって守るでしょう。」(フィリピ4:6-7)

宗教改革者ルターは、神を完全に信頼している人でした。しかし、そのような彼も、時にはいくつかの不安や悩みがいっぱいいました。しかし、ルターは、このすべてのものを簡単に寝かせることができる良い方法を知っていました。それはすぐに眠りに落ちる前に、次のように祈ることでした。

「主よ、この世界は主のものでしょうか。それとも私のものでしょうか。ここの教会が主のものでしょうか。それとも人々のものでしょうか。私が言ったすべてのものは、主のものであればこれでそれらを神様が引き受け責任をもって世話をくださることを信じています。私はこれで眠るよういたします。」